様々な手法と様式を駆使し、多岐にわたるテーマの絵画を生み出し続ける破格の画家・横尾忠則(1936-)。1972年のニューヨーク近代美術館での個展開催など、早くから国際的な知名度を得てきた作家ですが、近年ではその息の長い驚異的な創造力が注目を集めています。
2023年春、からだの衰えに淡々と応じつつ、テーマも決めずに大きなキャンバスに向かううち、横尾の「連歌」ならぬ「連画」制作が始まりました。和歌の上の句と下の句を複数人で分担して詠みあうのが連歌ですが、横尾は昨日の自作を他人の絵のように眺め、そこから今日の筆が導かれるままに描き、明日の自分=新たな他者に託して、思いもよらぬ世界がひらけるのを楽しんでいました。
「連画」は、気づけば川の流れのなかにありました。遠い昔に郷里の川辺で同級生たちと撮った記念写真。そのイメージを起点に、横尾の筆は日々運ばれます。水は横尾の作品の重要なモチーフの一つですが、いま、その絵画世界は悠々とした大河となり、観客の前に現れるのです。さまざまなイメージが現れては消え、誰も見たことがないのになぜか懐かしくもある光景――生も死も等しく飲みこんで、「連画の河」は流れます。
150号を中心とする新作油彩画約60点に、関連作品やスケッチ等も加え、88歳の横尾忠則の現在をご紹介します。
「絵は、本当にわかりません。絵のほうが僕をどこかに連れていく。僕は、ただ描かされる。そのうち、こんなん出ましたんやけど、となる」
―横尾忠則(2023年6月)
【 本展のポイント 】
1. 誰もがどこかで見たことのあるモチーフ=記念写真、そして川。初めて見る絵なのに、懐かしい
横尾忠則が制作の際に好んで拾い上げるのは、多くの人がどこかで見かけているであろうイメージ。アトリエには新聞や雑誌からの切り抜き、あるいはインターネット上に漂っている画像のプリントアウトが散乱しています。
本展の起点となったイメージは、1枚の記念写真。1970年に横尾が故郷の西脇(兵庫県)で同級生たちとともに収まるその写真は、篠山紀信が撮影したもので、その後22年を経て出た写真集『横尾忠則 記憶の遠近術』に収録されました。序文は、1970年に自決した三島由紀夫が遺していた横尾論でした。
因縁深きこの写真にインスピレーションを得て、横尾は1994年に《記憶の鎮魂歌》(横尾忠則現代美術館蔵)という大作を描いていますが、本展はこの作品から始まります。続く約60点の新作には、篠山の写真や《記憶の鎮魂歌》のイメージをはじめ、広告などに登場するまったく別のグループ写真、そして川や水にまつわる物語や絵画の画像など、複数の素材に由来するイメージが入れ代わり立ち代わり登場します。
あらゆる記念写真は死者たちと出会うための窓になってゆくといえますし、川は古くから各地の文化で生者と死者の間にあるものとされてきました。初めて見るのにどこか懐かしく、ときには少し恐ろしい、生と死が等しく輝く作品との遭遇は、遠い記憶を手繰り寄せたくなるような鑑賞体験になるでしょう。
2. 昨日の自分はもう他人――「連歌」ならぬ「連画」のゆくえを見守る楽しみ
一貫したアイデンティティから解放され、変幻自在な自己と出会い続けたい――横尾忠則が絵画制作をとおして長らく希求してきたことですが、今回それは「連画」という遊びのかたちで試みられています。
他者の言葉を引き取りつつ歌を詠み、それをまた別の他者に託すという「連歌」を、絵画によって、しかもひとりだけで、続けることはできるのでしょうか。昨日の自分を、本当に他人のように受けとめられるものでしょうか。展覧会場にならぶ新作群からは、横尾が川の流れに身を任せるように、この問いをゆったりと楽しんだことが伝わってきます。悠々と流れる大河=連画のゆくえを、ほぼ制作されたとおりの順で追いかけ、見守る楽しみを味わえる展覧会です。
3. 鮮やかな色、震える筆触、変転するかたち。王道の「絵画」に向きあう快感を味わえる
長きにわたり、イメージの魔術師のような創造性を誇ってきた横尾忠則。古今東西の多様なイメージが見事な構成でコラージュされるところに作品の大きな魅力がありますが、それを一貫して支えているのは自らの眼と手、つまり肉体をもって描くというシンプルこのうえない行為です。そしてその行為を、気が遠くなるほどたくさん反復すること。
視力、聴力、腕力に脚力と、身体のさまざまな能力が衰えるなかでも、横尾の反復は88歳の現在も淡々と続いています。その日その時の肉体からしか生まれてこない色、筆触、かたちが、150号(約182×227㎝)を中心とする大きな画面に躍り、流れ、変化してゆきます。王道をゆく「絵画」ならではの快感を、全身で味わえる展覧会です。
2023年春、からだの衰えに淡々と応じつつ、テーマも決めずに大きなキャンバスに向かううち、横尾の「連歌」ならぬ「連画」制作が始まりました。和歌の上の句と下の句を複数人で分担して詠みあうのが連歌ですが、横尾は昨日の自作を他人の絵のように眺め、そこから今日の筆が導かれるままに描き、明日の自分=新たな他者に託して、思いもよらぬ世界がひらけるのを楽しんでいました。
「連画」は、気づけば川の流れのなかにありました。遠い昔に郷里の川辺で同級生たちと撮った記念写真。そのイメージを起点に、横尾の筆は日々運ばれます。水は横尾の作品の重要なモチーフの一つですが、いま、その絵画世界は悠々とした大河となり、観客の前に現れるのです。さまざまなイメージが現れては消え、誰も見たことがないのになぜか懐かしくもある光景――生も死も等しく飲みこんで、「連画の河」は流れます。
150号を中心とする新作油彩画約60点に、関連作品やスケッチ等も加え、88歳の横尾忠則の現在をご紹介します。
「絵は、本当にわかりません。絵のほうが僕をどこかに連れていく。僕は、ただ描かされる。そのうち、こんなん出ましたんやけど、となる」
―横尾忠則(2023年6月)
【 本展のポイント 】
1. 誰もがどこかで見たことのあるモチーフ=記念写真、そして川。初めて見る絵なのに、懐かしい
横尾忠則が制作の際に好んで拾い上げるのは、多くの人がどこかで見かけているであろうイメージ。アトリエには新聞や雑誌からの切り抜き、あるいはインターネット上に漂っている画像のプリントアウトが散乱しています。
本展の起点となったイメージは、1枚の記念写真。1970年に横尾が故郷の西脇(兵庫県)で同級生たちとともに収まるその写真は、篠山紀信が撮影したもので、その後22年を経て出た写真集『横尾忠則 記憶の遠近術』に収録されました。序文は、1970年に自決した三島由紀夫が遺していた横尾論でした。
因縁深きこの写真にインスピレーションを得て、横尾は1994年に《記憶の鎮魂歌》(横尾忠則現代美術館蔵)という大作を描いていますが、本展はこの作品から始まります。続く約60点の新作には、篠山の写真や《記憶の鎮魂歌》のイメージをはじめ、広告などに登場するまったく別のグループ写真、そして川や水にまつわる物語や絵画の画像など、複数の素材に由来するイメージが入れ代わり立ち代わり登場します。
あらゆる記念写真は死者たちと出会うための窓になってゆくといえますし、川は古くから各地の文化で生者と死者の間にあるものとされてきました。初めて見るのにどこか懐かしく、ときには少し恐ろしい、生と死が等しく輝く作品との遭遇は、遠い記憶を手繰り寄せたくなるような鑑賞体験になるでしょう。
2. 昨日の自分はもう他人――「連歌」ならぬ「連画」のゆくえを見守る楽しみ
一貫したアイデンティティから解放され、変幻自在な自己と出会い続けたい――横尾忠則が絵画制作をとおして長らく希求してきたことですが、今回それは「連画」という遊びのかたちで試みられています。
他者の言葉を引き取りつつ歌を詠み、それをまた別の他者に託すという「連歌」を、絵画によって、しかもひとりだけで、続けることはできるのでしょうか。昨日の自分を、本当に他人のように受けとめられるものでしょうか。展覧会場にならぶ新作群からは、横尾が川の流れに身を任せるように、この問いをゆったりと楽しんだことが伝わってきます。悠々と流れる大河=連画のゆくえを、ほぼ制作されたとおりの順で追いかけ、見守る楽しみを味わえる展覧会です。
3. 鮮やかな色、震える筆触、変転するかたち。王道の「絵画」に向きあう快感を味わえる
長きにわたり、イメージの魔術師のような創造性を誇ってきた横尾忠則。古今東西の多様なイメージが見事な構成でコラージュされるところに作品の大きな魅力がありますが、それを一貫して支えているのは自らの眼と手、つまり肉体をもって描くというシンプルこのうえない行為です。そしてその行為を、気が遠くなるほどたくさん反復すること。
視力、聴力、腕力に脚力と、身体のさまざまな能力が衰えるなかでも、横尾の反復は88歳の現在も淡々と続いています。その日その時の肉体からしか生まれてこない色、筆触、かたちが、150号(約182×227㎝)を中心とする大きな画面に躍り、流れ、変化してゆきます。王道をゆく「絵画」ならではの快感を、全身で味わえる展覧会です。