世田谷美術館を設計した建築家の足跡をたどる
「健康とは〈生きているもの〉の価値基準である。人は病んだとき初めて健康の喜びや健康の価値を知るのであるが、このごろの建築をみていると、つくづく健康な建築の必要性を感じる。最近の建築はどこか病んでいるようだ。人間と建築とを同一に考えることはできないが、健康という価値基準を建築にあてはめることはできる と思う」。これは、内井昭蔵が著した「健康な建築」の冒頭です。彼の建築家としての思想を端的に示し、その造形が生成されていく根源にふれる言葉です。
明治時代に正教会の建築を手がけた祖父・河村伊蔵、そして建築家・内井進を父にもつ内井昭蔵は、建築家として1967年に独立し、2002年に急逝するまでの35年間、多くの作品を手がけつつ、京都大学などで後進の指導にもあたり、日本の建築界に多大な貢献を果たしました。初期の代表作≪桜台コートビレジ≫(1970)をはじめ、≪身延山久遠寺宝蔵≫(1976)、≪世田谷美術館≫(1985)、≪国際日本文化センター≫(1991)、≪御所≫(1993)、≪大分市美術館≫(1998)などの優れた設計は国内外から高い評価を得ました。
内井昭蔵は建築に合理性を求めるだけでなく、 自然の秩序を意識し、そこから生じてくる装飾を丹念に建築にとりこみました。建築が人間にとって親しみやすい存在であることを思い、人間と建築が馴染みあう空間を築くことを、心から大切にした建築家であったといえましょう。
本展では「内井昭蔵の思想と建築」をキーワードとし、その歩みを設計図面、写真、模型、映像などを通じて回顧します。
明治時代に正教会の建築を手がけた祖父・河村伊蔵、そして建築家・内井進を父にもつ内井昭蔵は、建築家として1967年に独立し、2002年に急逝するまでの35年間、多くの作品を手がけつつ、京都大学などで後進の指導にもあたり、日本の建築界に多大な貢献を果たしました。初期の代表作≪桜台コートビレジ≫(1970)をはじめ、≪身延山久遠寺宝蔵≫(1976)、≪世田谷美術館≫(1985)、≪国際日本文化センター≫(1991)、≪御所≫(1993)、≪大分市美術館≫(1998)などの優れた設計は国内外から高い評価を得ました。
内井昭蔵は建築に合理性を求めるだけでなく、 自然の秩序を意識し、そこから生じてくる装飾を丹念に建築にとりこみました。建築が人間にとって親しみやすい存在であることを思い、人間と建築が馴染みあう空間を築くことを、心から大切にした建築家であったといえましょう。
本展では「内井昭蔵の思想と建築」をキーワードとし、その歩みを設計図面、写真、模型、映像などを通じて回顧します。