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同じような恰好をした三人の女性が地に伏せたかと思えばぴょんぴょん跳ねたり、黒い(?)衣装をまとった男性が両腕をさまざまに動かしたり…。現在、3月21日(金)まで世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館で開催中の「宮本三郎と奥沢の芸術家たち」では、一風変わった映像を展示しています。現在であれば、それをパフォーマンスと呼ぶ人もいるかもしれません。しかし、それは今からおよそ90年も前の舞踊公演なのです! 男性は、世田谷区奥沢の隣町・目黒区自由が丘に住んだ舞踊家の石井漠(1886-1962)。三人組の女性は、その弟子であり戦前国内で活躍した舞踊家・崔承喜を含む、石井漠舞踊団です。
1928年に「自由が丘石井漠舞踊研究所」を開設した石井漠は、自由が丘が文化的発展を遂げる上での立役者という側面から本展でご紹介している人物であり、大野一雄や石井みどりらを弟子に持つ、日本における現代舞踊の先駆者として非常に重要な位置を占めている舞踊家です。今回、静岡県の島田市立島田図書館からお借りして展示しているのは、9.5mm幅のフィルムを用いる家庭用映写機「パテベビー」撮影会のために行われた舞踊公演の模様で、1926年10月3日、三越百貨店(東京)屋上に舞台を設け、石井漠舞踊団が「グロテスク」、石井漠がソロ「マスク」を踊っています。撮影者の清水真一(島田市名誉市民)は昭和初期の日本を映像で多く残した人物で、それらが現在「清水文庫」として同館に所蔵、本作はその中に収められていたものです。「グロテスク」と「マスク」における人物の動きは、日本舞踊とも西洋のバレエとも異なって、石井漠が大正時代も末の日本で、新しい舞踊を創造しようとしていたことを考えさせます。
世田谷区に隣接する目黒区は、石井漠と同世代の舞踊家・江口隆哉、宮操子夫妻が住み、暗黒舞踏家の元藤燁子が前衛舞踏の活動拠点となるアスベスト館を1952年に設立、のちにその夫となる暗黒舞踏家の土方巽も居住した街として、近代以降の日本舞踊史を考えるにあたっても重要な土地です。本展から、画家、彫刻家、小説家に加え、舞踊家も世田谷区奥沢からほど近い場所に住み、精力的な活動をしていたことにも、ぜひ思いを馳せていただきたいと思います。