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7月14日から開催している「村山知義の宇宙」展は、会期が残り1ヶ月を切りました。
おおよそ会期の半分にあたる8月6日の月曜日(当館の休館日)に、一部の作品(絵本原画や版画、素描など)を展示替えしました。
「村山知義の宇宙」展関連企画もいろいろと行われ、知られざる村山知義の側面が様々な視点で披露されました。7月21日に五十殿利治先生(筑波大学芸術系教授)をお迎えして、「村山知義のベルリン 1922」という講演会を行いました。村山は、1922年の1月4日に横浜から吉野丸という大型船でベルリンへ向かいます。帰国するのは、翌年1923年の1月末。当時は、船で一か月ほどかけてヨーロッパに行くのが普通ですので、実際ベルリンに滞在したのは、10カ月くらいだったのでしょう。この短い滞在期間に村山は、当時ベルリンで主流だった前衛美術に触れ、大いに刺激をうけ、自ら参加したのでした。そのベルリン滞在を詳細に調査した五十殿先生によって村山の痕跡が紹介されました。
7月28日には、ギャラリーTOMの副館長 岩崎清氏に村山知義の奥様であった籌子(かずこ)さん[1903(明治36)‐ 46(昭和21)]についてお話を伺いました。戦前は、知義が童画、籌子さんが文章を担当して絵本制作を行なっていました。籌子さんも、知義に劣らず、同時代の文化人と交流が盛んだったそうです。自由学園の創設者・羽仁もと子が、自由学園1期生である籌子さんらをつれて富本憲吉の工房を訪れたことがあったそうです。それ以来、富本憲吉の奥様であった尾竹一枝(紅吉)[1893(明治26)-1966(昭和41)]と親しい関係となったそうです。その縁か、村山家には、「籌子」と名前の入った富本憲吉作の湯呑があり、講演会では、実物をご披露いただきました。
8月3日、4日、5日と3日間、現代美術家のやなぎみわ氏による演劇プロジェクト「1924 人間機械」が上演されました。「人間機械」とは、村山知義が書いた小説(1926年発行)のタイトルからきています。20代の村山が不眠不休で制作活動をおこなった1924年頃の様子を音楽、ダンス、映像を使って描いた演劇でした。
「村山知義の宇宙」展は、9月2日(日)まで開催しております。関連企画100円ワークショップ「君の舞台をカードに演出しよう!」は8月25日まで毎金・土曜日14:00より
開催。気になる方は当館HPのプログラム&イベントをチェックしてみてください。