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小説のなかの画家たち—『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』のド・ドーミエ=スミス


前回のトルーマン・カポーティの「無頭の鷹」に続いて、今回はJ・D・サリンジャー(1919–2010)の短編「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」(De Daumier-Smith’s Blue Period)をご紹介します。


この短編小説は、作者の自選短編集『ナイン・ストーリーズ』に収められています。美術大学の学生時代にクラスの友人から薦められて手にした一冊でした。30年ぶりに今こうして新潮文庫(訳:野崎孝)を手にすると、水玉を配したシンプルな装幀に懐かしさを感じてしまいます。デザインは麹谷宏さんで、麹谷さんは後に無印良品を立ち上げるメンバーのお一人です。この頃の新潮文庫の海外文学はどれも装幀が素晴らしく、持っているだけで嬉しかったものでした。

サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)で脚光を浴び、この『ナイン・ストーリーズ』(1953年)を発表すると隠遁生活に入ります。その他には『フラニーとゾーイ』『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア序章』などグラース家ものと呼ばれる中・短編集を発表し、1965年の『ハプワース16、一九二四』を最後に、ニューハンプシャー州の小さな街でひっそりと暮しました。


昨年の1月、老衰により91歳で亡くなったという突然の訃報には驚かされました。半世紀近い沈黙を守っての最期でした。外界と一切遮断して一編の新作も発表しなくなったため、一時期は素性が明かされなかった米文学の鬼才トマス・ピンチョン=サリンジャーという説まで流れたほどでした。


さて、この作品「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」は、画学生の主人公がモントリオールにある通信教育学校「古典巨匠の友」の夏期講座の講師に応募することから物語は始まります。画学生は年齢も履歴も名前も偽って、ド・ドーミエ=スミスと名乗り、次のような書き出しではじまる手紙を書類に添えて校長に送りました。


「当方は年齢29歳、オノレ・ドーミエは大叔父に当たる。最近妻を失って間もなく南フランスのささやかな屋敷を後にしてこのアメリカに渡り、目下病気療養中親戚のもとに滞在している(この滞在をわたしは強調しておいた)。絵は幼い頃から始めたが、両親の最も古く最も親しい友人の一人であるパブロ・ピカソの忠告に従い、展覧会に出品したことは一度もない。然しながら、わたしの筆になる油絵や水彩画の数々は、現在、パリでも最上流に属し、しかも新興成金では決してない家庭の壁にかけられていて酷評にかけては当代最も峻烈といわれる批評家たちの数人からもかなり注目されるに至っている。」


このようなデタラメな経歴にもかかわらず、あっさり採用されますが、学校を経営するI・ヨショト氏(Yoshoto)は元東京帝室美術院会員の日本人で、奇妙なことに学校はヨショト夫妻以外に教師は彼ひとりだけでした。着任すると受講者から届く作品の添削指導が始まります。やがてある修道女の描く宗教画が目に止まりました。それはトロント郊外の修道院で「料理と図画」を教えるアーマで、一目会いたいと思いが募りストーカーまがいの手紙を差し出すようになるのですが……。


近年、村上春樹さんの新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が話題を呼びましたが、『ナイン・ストーリーズ』も柴田元幸さんの新訳(2009年、ヴィレッジブックス)の発売が記憶に新しいところです。学生時代にこの小説を読んだとき、結末ともなるラストシーンがもうひとつ良く分かりませんでした。それは整形器具店の女性店員がショーウィンドウマネキンの脱腸帯を締め直すのを見て主人公のスミス氏が衝撃的な啓示を受けるという部分です。今改めて読みなおしてみると、柴田訳では「脱腸帯」(原文ではthe truss)を「ヘルニアバンド」と訳していたので、なるほどと思いました。ヘルニアバンドから連想されるぎっくり腰(急性腰痛症)は“魔女の一撃”と西洋では呼ばれています。この本の扉に記された謎めいた言葉「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに? —禅の公案—」の「片手の鳴る音」がその衝撃にほかならないのだと気づかされます。


多くの作品に通奏低音として響いているのがこの「禅の公案」ですが、収められた作品はどれもユーモがあってニューヨーカーらしい洒落た仕上がりになっています。ぜひおすすめしたい一冊です。


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