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「私は毎日のように画室に掲げてある三枚の摸写の前に立って、じっと凝視(みつ)める習慣になった。すると当然のように、その模写につながる想い出が拡大したり、縮小したりして、私の若い日の苦渋と希望と緊張の織り交ぜた、パリの生活の片々を鋭くつき刺してなんとなく溜息が出るのである。」
向井潤吉「出戻る旧作」(昭和48年)より
「三枚の摸写」とは、現在展示中の《泉(アングルの摸写)》、《老人の頭(デューラーの摸写)》、《ばらの花を持つ女(ルノワールの摸写)》です。
ただいま向井潤吉アトリエ館では、「向井潤吉とルーブル美術館 その滞欧作の魅力」展を開催しています。この三点の他に《聖家族(ルイー二の摸写)》、《裁縫する若き女(ミレーの摸写)》も所蔵展示していますが、今回は特別に個人蔵の《エレーヌ・フールマンとその二児(ルーベンスの摸写)》も展示されています。
昭和2年から4年間にわたり、向井はルーブル美術館で21点もの摸写を熱心に描きました。画材や技法を探求するその仕事ぶりは、当時の日記帳(こちらも展示中)からうかがうことができます。帰国後に東京の丸善で摸写を集めた作品展を開きましたが、当時売れたのはルイーニの《聖家族》だけでした。それも「一面識のない通りすがりの基督教者」だったとエッセイに書き残しています。その後作品たちはさまざまな所蔵家の手にわたり散っていきます。
このルイー二は縁あって手元に戻ったにもかかわらず、アトリエの不審火によってティントレットやグレコの模写作品とともに焼けてしまいました。幸い焼け残りましたが、画面にはかなりの痛みがあります。やがて、手放した作品たちがポツポツと画商や画廊によって持ち込まれはじめ、向井の手元に返ってくるようになります。
チャンスがあれば摸写作品を引き取り、手元に残した向井ですが、とりわけルーベンスの作品には思い入れがあったようです。昭和47年の暮れに関西の画商から情報がもたらされとき、早速入手しようと連絡を取りました。ところがすでに人手に渡ってしまい、ひどく落胆したといいます。
今回はそのルーベンスの摸写が見られます。存在が確認されている摸写作品のなかでは最も大きく、《画家のアトリエ(部分)(クールベの摸写)》に並ぶ大きさです。原作と同じマホガニーの板が買えず、「五十号の枠にベニヤ板を接着剤で貼りつけて、その四方を隙間なく蓄音器の古針で打ち込んで地塗りを施し」たという、愛着の深い作品だったのです。
《遅れる春の丘より》をはじめ、民家の代表作も展示しておりますので、ぜひあわせてご覧ください。ご来館をお待ちしております。