Ars cum natura ad salutem conspirat

橋本平八・北園克衛書簡


携帯電話は遥か未来の話、固定電話もまだあまり普及していなかった1920年代。遠く離れた家族に連絡をするには電報か手紙しかありません。そして大切な人からの手紙は、どんな些細な内容であろうと大事に取っておくものです。

三重県出身の異色の芸術家兄弟、彫刻家の橋本平八と詩人の北園克衛(本名・橋本健吉)は、大正時代の一時期、世田谷の太子堂で一緒に生活をしていました。しかし、大正14年の秋、兄の平八は体調を崩し、また結婚の話も進んでいたので実家に帰り、弟の北園は太子堂で一人暮らしを始めます。以降、平八が若くして亡くなってしまう昭和10年までに、北園が平八に送った手紙が100通以上残っていて、先日、目を通す機会を得ることができました。万年筆や筆と道具を変え、ちょっとデザインされた字体や殴り書きと、その時々の感情がダイレクトに伝わってくるようです。

一人暮らしが始まったその日から手紙を出します。「独居第一日の朝八時半起床/線香を焚き 鐘を打って 楚然、ひたすらに美しき人を想う。」その後の内容は、日本美術院に兄の代わりに作品を受け取りに行ったり、展覧会の感想を書いたり、新興芸術運動に身を投じていくなか経済的に困窮し助けを求めたり。それぞれ苦しい生活を送っていますが、互いの制作を励ましあい、それぞれの作品が世間に認められていき自信を深めていく姿が目に浮かんできます。彫刻と詩と、まったく違った表現を目指しながら、その芸術に向かう根源的なところで共感し合っていた、兄弟の信頼に満ちた手紙でした。


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