Ars cum natura ad salutem conspirat

この一冊… 評伝『岩村透』は面白そう…


今日はこの場を借りて、少々遅ればせながら、一冊の新刊本をご紹介したいと思います。『美術批評の先駆者、岩村透 ラスキンからモリスまで』(田辺徹著、藤原書店、2008年12月刊)、という本です。



岩村透(1870-1917)の名は、日本で初めて西洋美術史を体系的に紹介した人物として、耳にしたことはあるかもしれませんが、その生涯や活動の詳細を知る人は、美術史を専門とする人のあいだでも、わずかしかいないように思います。明治中期、10代にして米国経由で渡仏し、5年の歳月をそこで過ごしたのち、帰国後は盟友となった黒田清輝とともに、東京美術学校の改革に乗り出し、そこで鷗外の後任として西洋美術史を講じつつ、一方では私財を投げうって数種の美術雑誌を創刊し、「美術批評」と呼ぶにふさわしい論述を展開させた、―という人物です。ラスキンやモリスの研究も手掛けましたが、官制との齟齬から美校を退いたのち、若干47歳で病死。そのためか、この評伝の著者によれば、岩村の存在は、その先駆性や重要性に反して、世の中ではほとんど忘れ去られてしまったということです。

岩村が残した業績を知るための資料としては、これまで、戦前に出版された評伝が一冊あるのみだったとのこと。このたび、長年の調査にもとづいてまとめあげられたこの新たな一冊は、評伝の域を超えた待望の歴史書として、発刊と同時に各所から熱い視線を集めたようです。著者である田辺氏は、実は世田谷美術館のお近くにお住いで、時折、展覧会をお訪ねくださる方です。編集および教職の場で、さまざまな美術や文化に向き合ってこられた方ですが、そのお父様は何と、この岩村透の愛弟子・田辺孝次であったとのこと、初めて知りました。


まだ、少しばかりのページを読み進めたばかりではありますが、後半部では、美術と社会の関係についての岩村の思想が紹介されています。岩村は、たとえばこんな言葉を遺しているそうです ―「美術館は社会の内蔵を毒する物質文明の解毒剤である」。1912年の論稿に記された一節とのこと、この当時はまだ、「美術館」と呼びうる公的施設がなかったことを思うと、いかに先駆的な発言をしていた人であったかに驚かされます。ということで、ご興味のある方は是非、ご一読を。


Copyright Setagaya Art Museum. All Rights Reserved.