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アーカイブ:2009年08月
世田谷美術館にいらっしゃるには何通りかのルートがあります。
東急田園都市線の用賀駅からバスまたは徒歩で。
小田急線の成城学園前・千歳船橋駅からバスで。
また、日曜日であれば、田園都市線の急行が止まる二子玉川駅からバスが運行されています。
今日は、一番利用率の高い用賀駅から世田谷美術館へのルートをご紹介いたしましょう。
と、言っても何度かいらしたことがある方にはお分かりの道ですけれど。
秋の気配が漂い始めたら、お天気のよい日には歩いていらっしゃるのもよいかもしれません。用賀駅からは、ゆっくり歩いて20分ほどの道のりです。
今日はこの場を借りて、少々遅ればせながら、一冊の新刊本をご紹介したいと思います。『美術批評の先駆者、岩村透 ラスキンからモリスまで』(田辺徹著、藤原書店、2008年12月刊)、という本です。
岩村透(1870-1917)の名は、日本で初めて西洋美術史を体系的に紹介した人物として、耳にしたことはあるかもしれませんが、その生涯や活動の詳細を知る人は、美術史を専門とする人のあいだでも、わずかしかいないように思います。明治中期、10代にして米国経由で渡仏し、5年の歳月をそこで過ごしたのち、帰国後は盟友となった黒田清輝とともに、東京美術学校の改革に乗り出し、そこで鷗外の後任として西洋美術史を講じつつ、一方では私財を投げうって数種の美術雑誌を創刊し、「美術批評」と呼ぶにふさわしい論述を展開させた、―という人物です。ラスキンやモリスの研究も手掛けましたが、官制との齟齬から美校を退いたのち、若干47歳で病死。そのためか、この評伝の著者によれば、岩村の存在は、その先駆性や重要性に反して、世の中ではほとんど忘れ去られてしまったということです。
8月9日、展示室にフリーダ・カーロの「メダリオンをつけた自画像」と同じ服装をした美女が現れました。展示室は一時、騒然。
実はこれは、「メキシコ20世紀絵画展」の関連ワークショップ「好きなものに囲まれた自分の顔を版画にしよう」の中でおこなわれたパフォーマンスでした。モデルはワークショップの講師のお嬢さんです。
この衣装は、メキシコ、オワハカ州テワンテペック、サポテク族の祝祭用の衣装だそうです。教会での式―たとえば結婚式などに着用するものだとか。着方がちょっと変わっていて、ブラウスの両肩にあたる部分を縦に、衿明きの部分から顔を出すのです。
もとは難破船から発見されたベビードレスを利用したところから始まったという話です。なるほど、衿明きの上下には袖と思える飾りもついています。
宮本三郎記念美術館の新しい展覧会、
「絵画のレシピ-宮本三郎の表現と画材-」はもうご覧いただけましたか?
今回の展覧会には、暮しの手帖社より特別にご協力いただいたコーナー展示があります。
8月1日から14日まで開催した、宮本三郎記念美術館・夏のオープンワークショップ
「思い出の色パステルをつくろう」では、12日間で、のべ400名を超える方々にご参加いただきました。
世田谷美術館分館・清川泰次記念ギャラリーでは、
所蔵作品の展示替えを年3回行い、会期ごとにテーマを
決めて展覧会を開催しています。
8月1日にスタートした展覧会は、「清川泰次 絵画に宿る詩情」
と題し、《イタリーの空》、《むらさきの絵》といった、
絵葉書になっている作品を含め、油絵とアクリル画を計20点
展示しています。
1901年に生まれた向井潤吉は、
26歳で初渡欧しました。
シベリア鉄道でユーラシア大陸横断の旅でした。
ルーヴル美術館から摸写の許可証を得て、
2年間で21点の作品を仕上げたのです。
向井潤吉アトリエ館は耐震化工事のため休館しております。
向井ファンの皆様には大変ご迷惑をおかけしております。
向井潤吉の愛した武蔵野の風情を残す庭は、向井潤吉アトリエ館の特徴の一つです。常緑樹や広葉樹が多く、つよい陽射しを透かした緑と、土に映る木漏れ陽の中、縁側でスイカをほおばりたくなるような趣があります。