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先日出張で気仙沼へ行く途次、一度訪ねてみたい宿があったので、一ノ関まで足を伸ばしました。すでに日が暮れてしまった初秋の一ノ関は、かすかに冷気をおびて、宿の明かりを見つけたときには、自然とこころが和らぎました。
この宿と世田谷美術館の分館は、深い関係があるのです。みなさんは、向井潤吉アトリエ館の展示室の一部が、土蔵であることをご存知でしょうか。
この蔵は、築100年を優に越えると言われ、その元所有者がこの一ノ関の宿の主人だったのです。
向井潤吉は昭和43年、静江夫人とともに岩手県の遠野、雫石、渋民をスケッチして回り、一ノ関に入って、この駅前旅館に宿をとりました。宿の主人と世間話をするうちに、近々開催される国体により、大規模な区画整理がなされ、穀倉(こくそう)にしていた蔵を処分しなければならない事情を知ったのです。宿の主人は向井氏に、大切にしてきたこの蔵をどうにか後世に残せないものか、と相談したのでした。向井夫婦はこれもなにかのご縁と感じ、すぐにこの蔵の移築を決め、その年のうちに一ノ関からはるか東京・世田谷へと歴史を刻んだ棟木や柱が運び込まれました。
私の滞在中に、蔵の解体移築の陣頭をとった棟梁が、この宿に足を運んでくださり、当時の様子をお話くださいました。棟梁も蔵の移築は初めてのことで随分とご苦労なさったようでしたが、向井氏の温厚な人柄に励まされたとのことでした。
蔵を通して人と人の関わりが今なお繋がっており、そして日本各地を描き訪ねた向井潤吉の足跡が息づいていることに、なんとも感慨深い想いがこみ上げてきました。アトリエ館へご来館の際は、一ノ関の風雪に耐えたこの頑丈な土蔵にも、是非ご注目ください。