Ars cum natura ad salutem conspirat

こだわりの山名文夫アトリエ再現・その1


「福原信三と美術と資生堂」展に、山名文夫(やまなあやお)の成城時代のアトリエを再現したコーナーがあります。

日本のデザイン史に大きな足跡を残した山名文夫は、戦前1929年から32年と1936年から43年、戦後は1948年から80年に亡くなるまで資生堂に籍を置きました。また、1947年から67年まで多摩美術大学の教授を務めるほか、様々なデザイン広告団体の役職や展覧会の審査員などを務めています。

成城に住んでいたのは、1939年から65年までの戦争を挟んだ26年間。42歳から68歳までというあぶらの乗りきった時期。当時の住所・成城町392番地は、現在の成城学園前駅近くのみずほ銀行から小田急線沿いのあたりにかけての一帯です。

山名は、1965年の12月に多摩市桜ヶ丘に転居し、その地で亡くなりました。机や蔵書、文房具などの遺品は、掛川の資生堂企業資料館に収蔵されましたが、今回の展覧会でそれらを用いて、成城のアトリエを再現できないかという話がもちあがったのです。

最初は美術館側も企業資料館側も手探り状態だったのですが、山名文夫の直弟子、水野卓史氏(株式会社資生堂 宣伝制作部 デザイン制作室 顧問)や村井和章氏(株式会社資生堂 宣伝制作部 デザイン制作室 デザイン1グループ アートディレクター 参与)が助っ人に加わるにおよんで、あれよあれよという間に、実現に向けて動き始めたのです。


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